男性が主導するシステムと、
女性が牽引するマーケット。
中島貞夫監督が撮った一九六九年の東映映画に『日本暗殺秘録』というのがある。桜田門外の変から226事件まで、政府や財界の要人を襲ったテロリストたちを描くオムニバス作品だが、注目したいのは、テロリストに扮するのが、片岡千恵蔵以下、鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、千葉真一といった当時の人気スターであったことだ。あくまで警察側から捉えた原田眞人監督の『突入せよ!「あさま山荘」事件』が、役所広司以下の豪華キャストで東映系で堂々と公開され、若松孝二監督の『実録・連合赤軍』が低予算のノースターに近い状態で独立系の映画館で細々と上映される現在とは、まさしく隔世の感がある。つまり、反体制が持て囃された熱い季節から、何よりも自分の生活を維持しようとする保守主義が社会を席巻している現在へと、時代が一八〇度転換したということだ。
この原因は、七〇年代に入って、全共闘運動の敗北が明らかになり、それまでの個人が組織を凌駕できるという覇気が急速に萎えたことと、折りしも田中角栄が列島改造論を訴え、公共事業による景気浮揚という打ち出の小槌を振って、瞬く間に政治に追随するのが得策との気運が社会全体に拡がったことの、相乗効果によるものだろう。
松下幸之助や本田宗一郎の成功物語は完全に過去のものとなり、いわゆる政商が幅を利かす世の中となったわけだ。一匹狼の渡世人が活躍した日本映画から、『仁義なき戦い』の混沌を経て、刑事や教師がカリスマとなるTVドラマの全盛期へと変遷してゆくのと、見事に符合する展開ではないか。
それから四十年近く――。若い人たちは前途に希望を失い、やり場のない閉塞感で日本は覆い尽くされている。それでもなお、上からの指示に従うのに慣れてしまった人々は、自分から決して立ち上がろうとしない。その姿はまるで、悪しき社会主義国家のようだ。偉そうなのは、官僚と御用学者、そしてその提灯持ちと化した政治家とマスコミである。既得権益の保持に執念を燃やす彼らは、リスクを極端に恐れて前例を踏襲し、創造力に欠けている。
こうした官僚たちの行動を支えているのは、ワイドショーを熱心に視聴しているような主婦感覚だと言っていい。安全や安心のお題目の下で警察官が増強され、美観のために看板やネオンが自粛され、地球環境を守るためと称しあらゆる制限が加えられ、さらにタスポの導入やメタボの検診に至るまで、健全な社会へと浄化することを好む主婦層にいかにも受けそうなことばかりではないか。心ある亭主族は苦々しい思いが募ることも少なくあるまい。おそらくそのことが人間の生命力を弱め、社会の活力を削ぐことを本能的に知っているからだろう。
ところが、夫は沈黙を守るほか術がないのである。家庭の実権が、主婦に移ってしまったからだ。マイホームの建設から家具や家電の購入、旅行やスポーツなどのレジャー、子供の進学や就職まで決定し、何よりも財布の紐をしっかり握っているのは、団塊から下の世代ならまず妻の方である。このところ一家を皆殺しにする父親の事件が相次ぐのは、汗水垂らして働いてきたのに対し家族からの感謝や労りが無いことへの鬱憤からだろう。自分の親の世代なら、手鍋下げてもついてきた演歌に出て来るような女房もいたのに、と絶望の呻きを漏らす亭主は、世の中にごまんと溢れている。
今年になって、黒澤明監督の『椿三十郎』や『隠し砦の三悪人』がリメークされ興行的に失敗したが、三船敏郎が演じた男っぽい剣豪役は、現在の父親には眩し過ぎるし、若者には役柄そのものが十分に理解できないのではないか。それに引き換え、かなり我田引水な解釈とは言え、あたかも女たちが歴史を動かしているようなNHK大河ドラマの『篤姫』の高視聴率ぶりはどうだろう。たとえ時代劇の形をとっても、現実社会と当然にも無縁ではいられないわけだ。そして、今号で取り上げる日本映画も無論、例外ではない。
三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』は、前作の『THE 有頂天ホテル』には及ばないものの、まずまずの興行成績を収めた。この監督の嗜好は、相当に古典的と言っていいもので、まずは一般客に相手にされにくいものだろう。ところが、舞台じみたセットを組んで、いかにも虚構でございと開き直った仕掛けが、バラエティーに似た感触を生み、観客にリアリティーを求めさせない希有な才能を発揮している。ただ前作以上に筋書きは荒唐無稽なのに、佐藤浩市や西田敏行以下の芸達者なはずの俳優たちが、引用した名作への敬意のためなのか、神妙に演じて、弾ける笑いに乏しいのが惜しまれる。冗長な印象が否めないのは、そのせいでもあろう。
松原信吾監督の『築地魚河岸三代目』を見ていて辛いのは、とても今日とは思えない男性上位社会を、ロケを多用し、リアリティーたっぷりに謳い上げていることだろう。時代への鋭敏な認識という点では、『男はつらいよ』の爪の垢でも煎じて飲ませたいほどだ。魚河岸の住人として、身内の中で意気がっていることでは共通する小劇場出身の役者を多用しているが、善意の押しつけぶりがかえって鬱陶しく、とても感動を呼ぶとは思われない。シリーズ化が検討されているようだが、どう見ても線の細い大沢たかおを、気風のいい魚河岸の兄貴分へと成長させるのは、容易ではあるまい。
原田眞人監督の『クライマーズ・ハイ』は、85年夏の日航機墜落事故に際しての地元新聞社の異常なまでの熱気に包まれる現場を描くものだ。堤真一、堺雅人、田口トモロヲ、遠藤憲一、螢雪次朗、でんでんらの好演が光って、男の汗臭いドラマを臨場感たっぷりに盛り上げる。多少の不満は、山登りのシーンが途中で何度も挿入されるのが、画面の緊張に水を差すのと、最後に特ダネを握りつぶす主人公の決断が、原作者の横山秀夫らしい設定とはいえ、カタルシスに達しないことだ。ともあれ女性が総じて影が薄く、男たちが脂ぎって活気に満ちているという構図はいかにも古めかしく、そこそこ良く出来ていたとしても、興行収入が十億円の壁を破るのが精一杯ではないか。
本木克英監督の『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』は、前作と脚本家が変わったせいか、妖怪が人間に虐げられた歴史までを俯瞰した、スケールの大きな物語となっている。しかし、面白可笑しく軽いタッチで多くの妖怪が続々と登場した前作の方が、大いに楽しめたように思う。引き続いて出演する田中麗奈や大泉洋あたりは悪くないが、ゲストの寺島しのぶや北乃きいがあまりに悲しげな存在だ。観客対象を考えれば、ここは前作のヒロイン・井上真央の屈託のない明るさが必要だろう。
石井康晴監督の『花より男子 ファイナル』は、その井上真央が演じる貧しくて平凡な少女に、セレブでイケメンの四人組が陰に陽に応援してくれる夢のようなストーリーだ。人気TVドラマを海外にまで舞台を拡げ、謎めいた展開で進行し、終わってみれば大団円と、若い女性にターゲットを絞った作劇に徹している。まんまと成功し、90%が女性客で70億円以上の興行収入が見込まれているというから恐れ入る。絵空事と斬って捨てるのは簡単だが、心情的にはこちらを夢見ている人々が、日本の現実という気がしてならない。個人の怒りのマグマの噴出を!と拳をかざしたいのはやまやまだが、この国での大爆発は、まだまだ先のようだ。
編集人より
●7月28日朝の浅野川の氾濫は、駅前シネマのすぐ近くまで泥流が達し、危うく営業が不可能になるところだった。それにしても、主計町や東山の茶屋街や湯涌温泉など、金沢市が景観整備に力を入れた場所に、被害が集中したのはどうしたことなのだろうか。おんな川とも言われる浅野川は、春をひさぎ泥水を啜って生きた女たちの涙の河でもある。泉鏡花や徳田秋聲は、まさにその世界を描いたわけだろう。しかし、昨今の行政による開発は、殿様か旦那衆の気分で、上辺だけを繕って臭い物に蓋をしていた気がしてならない。歴史の底辺に蠢く暗い怨念が、この災禍をもたらしたと考えるのは、穿ち過ぎだろうか。
●駅前シネマの敷地は以前、真柄建設の資材置き場だったと聞いている。その創業百年のゼネコンが破綻した。主力銀行から社長を迎えて一週間で、この事態を招いたことで、さまざまな憶測が飛び交っている。真相はいずれ判明するとして、不可解なのは、銀行の説明によると、五十億近い貸付金の回収が困難としていることだ。小企業ならば、役員の個人保証、抵当権の設定、信用保証協会への加入など、銀行は幾重にも厳しい保全策を講じているはずだ。ところが、上場企業では、粉飾された決算書の審査だけで、融資がかなり杜撰なのではないか。企業間の格差社会は、個人に劣らずに顕著と言うほかない。
●福井の福宝会館並びに福宝シネマが、6月25日で閉館となった。これでいよいよ、駅前シネマは北陸で唯一のピンク映画館となってしまった。全国的にも専門館の減少に、歯止めがかからず、成人映画が土俵際に追い込まれたのを実感する。得意の粘り腰で、製作会社も何とか堪えているが、いつまで持つことやら。腐る寸前の果実こそが美味しいとの喩えもあるが、今しばらくのお付き合いをよろしく。このところ公私ともに多忙で、本紙も大幅に発刊が遅れて、申し訳ありません。ただ正直に言うと、広報宣伝の本来の機能はとっくに放棄し、趣味の域での気侭な読み物と開き直ってはいますが‥‥。〔藤岡〕
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